それでも夢は、世界平和。

想像してみてほしい。

目の前で死のうとしてる女の子がいて、君はなんという声をかけるだろう。「きっと、生きていたらいいことあるよ」「君が死んだら僕は悲しい」などだろうか、いや、声をかけること自体、邪道だと考える人もいるかもしれない。

そっと抱きしめてやるのが正解なのか。

寂しさを紛らわすために、やれることは一体何があるだろう。

 

さて、大学生として過ごしてきて、もう10月になってしまった。しかし、依然として後期も、大学のキャンパスには週1回の1コマの授業のためにだけ登校する日々である。前期には実習という形での対面があったので、グループのメンバーとある程度仲良くなることができて、遊びに行ったり、一緒に教習所に行ったりしている。バイトにも慣れてきて、部活の先輩とも親しくなったり、ある意味大学生活っぽいことをできているのかもしれない。

 

もしかしたら、僕は「強者」なのかもしれない、と最近考えることが多くなった。

 

後期初回の対面授業の際、僕の目の前に座っている子が異質な雰囲気を醸し出していた。ヨレヨレの黒シャツに山登りに行くのかというくらいのリュックサックを背負って色んな種類の充電コードがはみ出ていた。徐ろに取り出したパソコンにカタカタ何か入力していた。

 

その子は、明らかに、「浮いていた」。

 

前期の対面の実習のグループごとで多くの人は仲良くなるわけであるが、その子は誰にも相容れず、一人で行動していた。

 

「ああ俺も一歩間違えると、こうなってたな」とふと感じた。

 

結局、月並みなことを言うが、人との巡り合わせほど重要で、偶発的なことはない。ある意味「博打」的なグループ分けによって、4年間、ないしは6年間の「心の持ちよう」に影響してくる。先程、自分のことを「強者」かもしれないと述べたが、それは他でもない、素晴らしいほどの良い人と巡り合わせに恵まれているから、「強者」にさせて頂いているわけである。

 

最近、毎晩のように、中学時代の友だちと電話しながらゲームすることが多い。僕を含めて4人であるわけだが、1人は中卒で現場で働いているヤツで、1人は通信制の高校を留年しているヤツ、もう1人はFラン大学に通っているヤツである。

時たま、しんみりとみんなから「お前は勝ち組になれるからいいよなぁ」と言われることがある。彼らの言う「勝ち組」とは一体なんなのだろうか。大企業に勤めて、良い給料を貰っているヤツが「勝ち組」なのだろうか。

からしたら、地元の友だちとワイワイ仲良く遊んでいる「君ら」の方が勝ち組なんだがな。

俺なんかと仲良くしてくれる地元のメンツは、本当に数少ない。地元が大嫌いだからこそ、大学に通える距離なのにわざわざ下宿しているくらいでもある。

その中で、俺の家庭になんの偏見も持たず、俺だけを見てくれる「こいつら」と一生仲良くしたいと心の底から感じられる。

 

「オンライン授業」は、地元の人間関係について考える良い機会を与えてくれたのではないか、と最近考えることが多くなった。本来の対面授業が行われていたら、今頃大学のメンバーと遊び呆けて、地元について考えることなんて無かったであろう。

 

「一期一会」という素晴らしい言葉がある。この言葉は、大学生のために作られたものなんじゃないかと思うくらいだ。

 

もう一度考えてほしい。目の前で死のうとしてる女の子がいて、君はなんという声をかけるだろう。僕ならこう声をかけたい。

 

「君にやるせないことがあって、とても寂しくてどうしようもなくても、僕は君と出会うことができたから、とても幸せだ。」

 

クソッタレがのさばった、このどうしようもない世の中に絶望して、死を選ぶ人が多くいる。誰か、そいつに、言ってやってほしい。

「君に出会えて幸せだ。」と。

そうしたら、きっと死なないよそいつは。

 

何かに鬱憤をぶちまけて、他人から、ろくでなしみたいな生き方をしていると思われようと、自分は自分を生きていたら良いんだよ。アホがアホしている、バカがバカしている、クズがクズしている。そんなみっともない世の中だけど、

 

それでも夢は、世界平和。