「誹謗中傷」という誹謗中傷

さて、今回は「誹謗中傷」について話したい。

先日、テラスハウスに出演していたプロレスラーがSNSなどの「誹謗中傷」が原因で自殺した事件があった。その事件以後、芸能人、著名人らの、私もこれからは「誹謗中傷」には徹底的に抗戦します、などという意見が散見される。

 

僕は思った…、「は?」

 

はっきり言わしてもらう。

芸能人のような表に出ている人たちが、罵詈雑言、悪口を言われてしまうのは致し方ないことで、いちいち気にすることでもない。

「芸能人も普通の人間なんだよ」

…は?表に出て自己顕示欲や承認欲求を満たしている"普通"の人間がどこにいるんだ??

自分の都合の悪い意見を、「誹謗中傷」だとレッテルを貼り、人の意見に耳を傾けず、自分よがりな勝手な人間、どこが普通なんだ??

 

もちろん言っておくが、僕は「誹謗中傷」を肯定しているわけではないし、言葉が人を傷つけ得ることは、SNSで情報を発信する立場の人間は自覚しておくべきことだと思う。

だが、人の死に乗っかって、【自分に都合のいい空間】を創り上げようとしている人達には反吐が出る。

今回の一連の流れを鑑みて、僕がすごく違和感を感じたのは、「『誹謗中傷』には徹底的に抗戦します」という文章、その文章そのものが「誹謗中傷」だと自覚している人が少なすぎる、ということだ。

…「あなたの意見は『誹謗中傷』ですよ、そういったあなたの意見は発信しないでください。あなたはおかしな人ですよ。」…

そう言っている気がしてならない。

こういう奴らが、「人の気持ち」について語っていることがちゃんちゃらおかしい。人間である以上完璧な人なんていない。いっときの感情に揺さぶられて、悪口を書いてしまうこともあるだろう、もちろんダメなことだと思う。

しかし、「悪口を書く」、その行為によって救われている人がいることに心を傾けた人は何人いるのだろう。インターネットという場所は、「便所の落書き」であった。そういう時代はもう終わりかけているのだろう。じゃあそういう「落書き」をしていた人たちは一体どこに「落書き」をしたらいいのだろう。

 

やっぱり、「人の気持ち」だとか、「命」だとか、そういう言葉が先行している奴らは、薄っぺらいなぁと思ってしまう。俺は、もしこの日本で、「悪口」が禁止されたら自殺してしまうだろう。僕自身が否定されたも、同然だからだ。

 

深く考えてみてほしい。

自分の意見が「誹謗中傷」だと誹謗中傷されてる人たちのことを。そう言った人たちが意見を発信する場がインターネットにしかないかもしれないことを。「悪口」だと悪口されている人たちのことを。

 

そして、訳のわからんことを言っている芸能人に再三言いかけたい。

「人の意見を否定すること」が、最大の人権侵害で、「誹謗中傷」だということを。